死猫がいないのは

見えないこともあるけれど不幸と幸せはいつも一緒。

幸せの影に不幸が身を屈めていたり不幸の先に幸せが待っていたり。

でも本当は幸せのまわりを不幸が取り囲んでいるのかもしれない。

それを幸せの壁が遮っているだけなのかも。

そして幸せの壁の中には限られた不幸が漂っていてたまにそれがくっついて大きくなったり。

でも幸せの壁の外には膨大な不幸。

たまにテレビを窓にして外を眺めたり。

その膨大な不幸の外にはもっと大きな幸福があったり。

車にひかれた猫は見ても死んだ猫がいないのはきっとそこにいるからかも。