死ぬことや自殺や殺すことはよく考えても
虐待や DV や戦争じゃないと殺されることを日々考えることって少ないよね
たとえば包丁や銃を向けられたとき死にたかったからちょうどよい場合もあれば
やりたいことがあったり、こいつに殺されるのが嫌な場合もある
殺されるって殺す側に殺意がないことある
殺す側は殺すことが日常になると殺す感覚が薄れたり
車の運転手でいえばあの猫ひいてやる!じゃなくて猫に気づいてなかったり間に合わなかったり
でも車にひかれた猫にとっては殺される!
恐怖にすくむだけで死ぬことや殺されることまで考えられないこともあるだろうね
車にひかれた猫を助ける名目で死にたいけど
別の車にひかれた猫を拾うためにも死ねない
車にひかれた猫が感じた恐怖を想像している
殺される
殺される
殺される
僕は死なないのに
殺さ練をしてせめて殺されることを考える