狂気の芝居と正常の芝居

2023-10-22

『笑わない数学』は NHK 特有の小芝居がなければ完璧なんだけど

1+1=2 の回で

一生のうちですべての観光地に行くことが不可能だと知ったらあなたはがっかりするでしょうか

(がっかりするし、している)

すべての観光地に行けなくても一つ一つの観光地の素晴らしさに心打たれることに変わりはないでしょう

(すべてに訪れることができた場合と比べ、あそこには行けないかもしれないと影を落とすことがある)

と思うことがあった

けれど素晴らしい考え方。そう考えたいけれど

これは読みたいすべての本が読めないことや

すべての車にひかれた猫を拾えないことも同様

本の世界に夢中になっていたり

仔猫二匹が寄り添った車にひかれた猫になったのを拾うときは

すべてではないことを考えていないこともあるけれど

すべてではないことを考えることもある

すべては不可能だからと不可能なことを考えても仕方がないと言い聞かせている

理解はできるけれど納得できないけれど

芝居といえば佐久間宣行の NOBROCK TV の U 字工事ドッキリが好き

ドッキリでは怒り系で誰かを困らせたり怖がらせる系は自分に感じられて苦しくて見ないんだけど、これは見てしまう

三谷幸喜さんも見ていて『狂気の手前で止めてもらえると嬉しい。狂った芝居は誰でもできる』のコメントが素晴らしい

狂気は簡単

狂気と漁繋がりで、その昔読んだメルヴィルの『バートルビー』は言語化できないんだけど引っかかるものがあった

動かなくなるバートルビーを拾いたいと思った

そんなことを忘れて自由意志について Stanford scientist, after decades of study, concludes: We don’t have free will を読んでいたら

テッド・チャン(テッドさん)の What's expected of us | Nature が言及されていて

そこで Bartleby, the Scrivener ってあって何だろうとググったらバートルビーの原題

誰かバートルビーの考察がないかとググったらバートルビーと手紙 ──「配達不能郵便」と「死者」をめぐって──

語り手がこの物語を綴ることで,バートルビーを孤独な「浮浪者」の立ち位置から救済するということである。それが二重の意味での,死せるバートルビーの「復活」なのだ。

バートルビー自体が配達不能郵便

読者がバートルビー(配達不能郵便)を読むことで

バートルビーが配達不能郵便を扱ってバートルビーになったように

読者が次のバートルビーになることもあるのでは

僕はバートルビーを救いたいし、僕自身がバートルビーなように

僕を拾おうと僕の首を掴んで持ち上げてみる

浮いた!浮いたよ!