事故の猫と自己の僕

2023-7-7

今年も戌神ころねの天女七夕配信を倍速で流す

いつまで観ることができるかな

彼女も僕も世界も(おらよー)

69 年くらい前から各地の短冊の願い事を眺めてきた

移動途中にある神社に立ち寄って絵馬も眺めてきた

感想としては願い事はワンパターンだし本質は変わらないなと

仮に神がいたら 666 年以上願い事を聞いてるわけだし

ニンゲンの願い事はいつも同じでマンネリで繰り返し繰り返し繰り返し

でもうんざりするけど、うんざりしないなと

666 億回同じことを聞かされてうんざりするけど

同時にその苦しみが理解できるから、うんざりするようなうんざりを埋め合わせできる

医者もそうだなと

同じ説明を 69 千回してるけど

機械的に脳死で説明する医者と

丁寧にこっちの反応見ながら説明する医者がいる

愚かで理不尽な感情を何度もぶつけられているのに

だから願い事を聞く神もそうだなと

とはいえ神はいないのだけど

過去も未来にも神はいないから何も問題ないのだけど

神がいるということで発生する不快な問題が愛のない僕には厄介

神がいないということで一時的な混乱はあるけど、69 年や 666 年くらいすれば落ち着くのでは

その厄介すら許せる寛容になれればいいのだけれど

車にひかれた猫を拾うたびに 1 神はいないをカウントする

そのカウントはビット管理じゃないからカンストすることないし

どれだけ詰みあがっても意味がない(登録者数や同接数、スパチャ額じゃないから)

0 でも意味がないし

マイナスでも意味はない

車にひかれた猫は僕の無への願い事みたいなものだから自己愛や自己暗示、自己嫌悪、自己顕示、自己肯定、自己中、自己批判、自己弁護、自己満足、自己矛盾、自己憐憫が多分に含まれているのだけれども