2023-9-7
もう 666 年くらい家を一歩も出ていないな
車にひかれた猫を探しながら思う
今、家から出て歩いているのに
じゃあ、今、キーボードを叩いている僕は誰?
0 度で氷、100 度で沸騰するように、1 万歩で 1 時間なのかとふと考える
69 分か 666 分で 1 車にひかれた猫だし
いや、今考えるべきは、もちろん車にひかれた猫のことだけど
なぜ 666 年くらい家を一歩も出ていないという考えにずっと囚われているか
事実なのでは?
家の定義によるだけで
住民票や布団のある家ではなく
宇宙から地球に帰ってきたときに家に帰ってきたなと思う
数分くらいの宇宙旅行だと布団のある家が家だけど
69 年くらい宇宙にいると地球を見ると家に思える
太陽系や銀河系から遥か遠く離れて 666 億年くらいだと太陽や銀河を見るだけで家に帰ったと思える
でも今は宇宙に行きたいわけじゃないし、グローバルなグローブな考えもない
家を起点にすると 360 度の方向に出かけても、そのうち同じ景色を見るから?
家とは
家を考えると、あの玄関とあの扉のあの家
出ているのに
僕は抜け殻で、心は家にあるのかな
あのキーボードを叩く僕が家を出たがっているのかな
でもあの僕もご飯とか買いに出たり車にひかれた猫を拾いに外に出ているよね
僕に殺されて僕を取り囲んでいる僕たちかな
勝手に出ればいいじゃん
だとしたら考えが僕と共有していることになる
共有していないとしたら僕の考えか
確かに家を出ていないと感じるな
それを僕以外のせいにしていたのか
分からないから別に理由を見つけよう押しつけようとするのは分かる
海外旅行をしたいということ?
しっくりこない
代わり映えのしない繰り返しの日常がご不満?
パック寿司を食べているときに回らないお寿司を食べたいと思うような?
こっちはまだしっくりくる
車にひかれた猫を拾っているときに車にひかれた猫を拾わないと思うような
恐ろしいのは、今まさに車にひかれた猫を拾っているのに、車にひかれた猫を拾わないとと思うこと
別の車にひかれた猫がいるはずだからそれを拾おう、じゃなく
目の前の車にひかれた猫がいるのに別の車にひかれた猫を考えて疎かになること
その意味では日常や家が疎かになっているな
これだ
しっくりくる
シックハウスる
ホームシックる
シックル
小さな死神のカマ
家と外、内と外、生と死、僕と車にひかれた猫をちゃんと考える