2023-5-8
死肉の日に触れた茨木のり子さん
『自分の感受性くらい』ってよすぎる
ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難かしくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
最後の「ばかものよ」の連以外の三行目が特に好き
一、二行目の理由は変われど三行目で心を鋭く刺してくるのに耳が痛い
Google Calendar で毎月一日に「自分の感受性くらい」が通知くるようにリマインダ登録しているんだけど
Habitica の 19 時の通知同様消すだけになっているばかものよ
僕の周りでは(詩人の)茨木のり子さんが、死ぬ時のための文章(知人あての「お別れの言葉」)を残していました。美しいですよね。
下記を生前に甥夫婦に預け、空欄の日付と死因を埋めて知人に送ったのこと
このたび、私 2006年2月17日 くも膜下出血にてこの世におさらばすることとなりました。 これは生前に書き置くものです。 私の意志で、葬儀、お別れ会は何もいたしません。 この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。返送の無礼を重ねるだけと存じますので。 『あの人も逝ったか』と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。 あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか・・・。 深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。 ありがとうございました。
「わずかに光る尊厳」や「見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち」の光が強い意志で光っていて綺麗
僕も警察向けに遺書を書く
僕と僕以外の財産を車にひかれた猫に譲る
僕以外の財産は無理か
僕の財産を車にひかれた猫に譲る
僕の財産って車にひかれた猫くらい
車にひかれた猫に車にひかれた猫が贈られる
車にひかれた猫以外に車にひかれた猫がいかないからいいかな
だけど車にひかれた猫ごとゴミ捨て場に捨てられるかもな
車にひかれた猫を大事にしないと殺す
も追加しよう
愚かなヒトなら恐れて大事にしてくれるだろうし
賢いヒトなら殺すと言われなくても大切にしてくれる
でも愚かなヒトなら殺すと書いても大事にしないし
賢いヒトなら殺されないと考えそう
だから死んでも殺す方法を考えないと
666 回茨城のり子を読まないとな
光が暗い