僕を取り囲む私を観察した不定期日記で自分は誰?
僕はバテレンじゃないけれど
猫が道路に飛び出した。届くはずもないのに僕は10メートル前の猫の尻尾をつかもうと手を出した。猫は短く高い叫びを発して壁にたたきつけられる。前方の壁に車にひかれた猫の血が残る。それがキリストの顔に見えた。ロールシャッハではどんな答えが出るんだろう。そんなことを思いながら僕はぼろ布みたいな車にひかれた猫を服の中に入れた。
しゃけ
道に血にぬれた鮭の頭が落ちていた。その横に頭の潰れた車にひかれた猫が落ちていた。ゴミ袋の中から見つけたんだね。せっかくのご馳走だったのに。僕は車にひかれた猫を服の中に入れた。
そういえばこんなことがあった。家で鮭のルイベを作るために外で干していた。そしたら窓の外で猫のギニャギニャギニャ、ニャニャニャニャニャという唸り声がする。窓を開けるとルイベの下に二匹の猫が睨みあっていた。猫は僕を見て逃げていったけど、きっとこのルイベを狙って「俺んだ俺んだ」って言っていたんだと思う。よくルイベを見つけたもんだね。感心する。
それは美しい
道路に血の跡がてんてんとしていた。僕はその跡を辿る。血は壁に寄り添って死んでいる車にひかれた猫のものだった。本当に猫とか鳥とかって自分の死体を見られないように努力するよね。こういう自分の死体をさらけ出さない考えって美しいと思う。人間がビルからの飛び降りたり家で首吊りしてりって醜い。目立ちたいんだかなんだか知らないけど一人で勝手にどこか遠くで死んでくれ。僕はその車にひかれた猫をもうほかのものに見られないよう服の中に入れた。
首を切っておしまい
瓶を塀に並べている家、私も知っています。大船駅近くにあります。大船駅を西口で降り、バスターミナル方向へ歩きます。橋があり、そこに吉野屋があります。そこを左折して歩くと十字路があります。紳士服やハマヤ電器がある所です。その一角(ハマヤの向かい)に人家が一軒だけあり、その家の塀に瓶が埋め込まれているのです。
私はその塀を見て忍者避けとは考えず、きっとこの家にはキチガイがいて「うきゃー」とか叫んで外に出ないためのものだと考えていました。なんだか暗い家でしたし。
そういえば北海道の家には塀がありません。雪がたまらないように、だと思うのですが。
塀の上の猫ってチェシャ猫を思い出す。私が小学生の時、いつも塀の上に座っている年寄り猫(チェシャ猫)がいた。いつも目を細めて遠くを見ていて自転車で走る僕なんか無視の貫録ある猫だった。そしてある日そのチェシャ猫が塀の下で車にひかれた猫になっていた。ハンプティーダンプティー落っこちた。今ならそう思ってウヘヘヘと薄笑い浮かべるでしょうがその時の私はいつも生きていたものが死んだ、というショックで自転車を停めてぼんやり立って見ていました。あぁ、久しぶりにこのことを思い出した。なんだかまた胸が痛くなる。そんな小学生の私とあの時拾えなかったチェシャ猫を服の中に入れた。
服の中のもの
壁に血を残した猫。鮭を食べずに死んだ猫。塀に寄り添って死んでいた猫。堀の下にいたチェシャ猫。小学生の私。それらが僕の服の中にいて重い。2、3日前から降り始めた雪が僕の足をつかむ。もう家へ向かう曲がり道にたどり着いてもいいはずだ。また降り始めた雪が吹雪になって前が見えなくなる。耳が冷たくて痛い。首から服の中に風が入ってきて体が冷えていく。服の中に入っている猫たちがやたら重い。息ができない。寒い。何も見えない。服の中のものをすべて捨ててしまいたい。速く家に帰りたい。
足下で猫の小さな鳴き声がする。ずっと。雪が目に入って足下も見えない。足がなかなか上がらない。たまに足に何かがぶつかる。まだ足下から猫の鳴き声がする。捨てればいい。捨てればいい。そう思うがただそれはどこか遠くで思うだけで家を目指して歩いていく。
家への曲がり角だ。捨てなくてすむ。雪が弱くなった。足元を見る。両目から血を流す車にひかれた猫が僕の足音を聴いてよろよろついてくる。僕はその目のない車にひかれた猫を服の中に入れる。
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